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2.26事件を利用し政治介入を容易にした陸軍!

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もりもりです。

歴史って知れば知るほどおもしろいです。

2.26事件は天皇の怒りの一声により収拾され、陸軍の内部抗争は終結します。

当然ながら陸軍は粛然(しゅくぜん)としたが、陸軍は2.26事件を利用し、政治を利用しようと計画していた。

どのような計画だったのでしょうか?

 

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皇道派の軍人は一掃される

事件後、クーデターを引き起こした皇道派のリーダーである真崎甚三郎大将は予備軍に退かされたうえに収監され、裁判にかけられます。(無罪判決になります)

 

その他の皇道派の軍人たちも「地方に左遷され、陸軍中央の皇道派と目されていた軍人は一掃」されることになった。

 

これで軍は、皇道派と統制派に分かれていた状態から、一つになったのですが、対立していた統制派も、もともと現政権を改革しなければ日本の閉塞感(へいそくかん)は
是正されないとの認識では皇道派と同じであった。

2.26事件にもクーデター計画はあった

陸軍の息のかかった政権を実現したいと願っていることには変わりはなかった。

 

事件より5年前の昭和6(1931)年3月にも本格的なクーデター計画があった。

 

殺害された統制派の永田鉄山(当時陸軍軍事課長)が、つくった有志会の過激少壮幕僚たちが右翼と結託し、「国民は現政権を信用せず。宇垣一成陸相(大将)を首相にすべし」として、1万人のデモをして首相官邸を爆破する計画を立てた。

 

しかし、宇垣が首相推薦を断ったため未遂に終わった。

 

さらに同年10月にも、近衛連隊の青年将校グループと右翼思想家が、クーデターを画策し、爆撃機まで飛ばす準備をしたが、結局、不発に終わった。

陸軍の政治介入への策略

力ずくによる国家改造は、陸軍の「悲願」であった。

 

こうした過去の記憶は、政治家や国民の間にはまだ生々しく残っていました。

そうしたときに発生したのが、2.26事件だったのです。

 

そして、
「反乱を繰り返すな」という軍内外の声を逆手に取り、陸軍はこの事件をうまく利用したのです。

 

「陸軍の言い分を聞かないと反乱はまた起きる」と政治家たちを暗に脅かし始めたのだ。

 

その言葉だけで、政治関係者は「暗殺の」の二文字を思い浮かべて縮み上がってしまったという。

 

それを見越して政治介入していくのだから、ずるがしこい政治操作法といえた。

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軍事の力が増す中で国会議事堂が完成

陸軍は事件ののちに組閣の大命を受けた首相広田弘毅に注文をつけ、軍に近しい閣僚を入り込ませたほか、陸軍大臣には現役の武官(大将、中将)が就任することを認めさせた。

 

明治時代は現役武官でなければ、陸軍大臣になれなかった。

 

しかし、現役の幹部が大臣になれば陸軍への利益誘導に陥ると、大正時代になってから、元将官でも大臣になれる制度改革が行われた。

 

それをまた明治の制度に逆戻りさせたのだ。

意図は明白であった。

 

陸軍が大臣候補を内閣に送り込まないと組閣できなくなるので、内閣は軍の協力なくして政治を運営できなくなる。

 

陸軍は政治そのものに口を差しはさむことが容易となると陸軍は想定した。

 

「現役の武官に大臣の資質を持った軍人はいない」と大臣推薦を断る口実はいろいろある。

 

陸軍の手によって政治が左右される事態が、彼らの思惑通り到来してきたのである。

 

2.26事件をテコとして、陸軍の力は前に増して強力になり、日中戦争へと突っ走る。

 

現在の国会議事堂が竣工(しゅんこう)したのは、この年の11月7日だった。

 

すでに政党政治が地に堕ち、軍部の横暴が始まったときに、言論の府が完成したのは皮肉なことである。

<太平洋戦争知れば知るほど参照> 

 

まとめ

2.26事件が収拾され、陸軍の内部抗争が落ち着けば、
今度は陸軍が力をつけて政治介入をするようになってきた時代です。

 

そして、日中戦争が始まり悲惨な戦争が勃発するようになるんですね。

だんだんと、国民の平穏な生活がなくなっていくんですね。

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