もりもりの歴史と人物

歴史と人物をお教えしますね。

アレクサンダー大王が作った歴史上最大の国とヘレニズム文化の終焉!

 

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もりもりです。

アレクサンダー(アレクサンドロス)大王。

アレクサンダー大王は、世界史の中で最大の国家を建造したといわれています。

 

アレクサンダーはフィリッポス2世の子として、紀元前356年7月20日に誕生します。

 

少年期にはギリシアの大哲学者であるアリストテレスに学び、若くして哲学だけではなく帝王学も修得しています。

 

アレクサンダーは、父の暗殺によって即位し、ただちに反乱を鎮圧します。

 そして、
紀元前323年6月10日(満32歳)という若さで没します。

 

その間、全ギリシア連合軍を率いて、東方へ遠征しペルシアを滅ぼし、南アジア全域を征服します。

 

こうして、ギリシアからエジプト。

 

さらにはアジアにまたがる一大帝国を築き上げていきます。

 

まさに世界に君臨する大国となります。

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古代エジプトに歴史上では最大の国家を築く

アレクサンダーは、さらに国土拡大に向けてアラビア遠征を画策中にバビロンにおいて病に伏し、そのまま他界しました。

 

そのアレクサンダー大王が、古代エジプトに建設した国家が歴史上では最大ではないかといわれています。

 

その都はアレクサンドリアとして、紀元前331年に、東方遠征途上にナイル川のデルタ河口西端を選定して建設したものです。

 

当時でも人口は100万人を超えているともいわれ、「世界の結び目」ともいわれるものでした。

 

ヘレニズム文化の中心地でもありました。

地の利に恵まれ、歴史上最大の都市として発展した

地の利に恵まれていたこともあり、歴史上最大の都市として発展しやすかったのでないかと思われます。

 

ヘレニズム文化とは、ドイツの歴史家ロイゼン(1808~1884年)によって造られた言葉です。

 

ギリシャ風の文化という意味で、西アジア一帯に形成された東西融合文化という意味です。

言語・学芸よりも生活様式全般に及ぶ分野での傾向で都市に居住していたギリシア人が、それぞれを 築き上げていったものといわれています。

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ヘレニズム文化の終焉(しゅうえん)

歴史的には、約300年続いたヘレニズム文化の時代は、紀元前30年の古代エジプトの滅亡によって終焉(しゅうえん)を迎えることになります。

 

しかし、

文化としてはヘブライズムと対立する懸念として、ヨーロッパ文化の2大基調として 今日にまで影響を及ぼすくらいのものとなりました。

 

いずれにしても、長い歴史の古代文明の中で、ギリシアからエジプトへかけての膨大な国家形成は、その後の時代にも大いに影響を与えました。

 

ヨーロッパの伝統はこうした中にもあるのでしょうね。

まとめ

壮大な国家だったんでしょうね。

 

しかし、短命だったんですね。

 

もしも長寿だったら、世界はどうなっていたんでしょうね。

 

もっと巨大な国家が形成されていたんでしょうか。

今日も読んでくれてありがとうございました。

 

naosikiko.hatenadiary.jp

 

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