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ゲルマン民族が大移動した時代と原因!古ゲルマン社会の2つの特徴!

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もりもりです。

ゲルマン民族の影響力とは?

ゲルマン民族は西ローマへ大移動し、西ローマ帝国を滅亡させます。


ゲルマン民族は、ヨーロッパ史おいて非常に影響力のあった民族なのです。

ゲルマン民族の大移動がなければ、現在のヨーロッパはなかったともいわれています。


なぜゲルマン民族は、
・自分たちの土地を捨ててまで大移動したのでしょう?

・古ゲルマン民族はどのような社会を築いていたの?

・古ゲルマン社会の2つの特徴など
気になる情報を調べてみました。

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大移動はいつの時代に起きたのか

「第1次ゲルマン人大移動」は、4世紀から6世紀に及ぶ約200年です。

 

一般に375年の西ゴート人のドナウ川越境から、568年の北イタリアでのランゴバルド王国の建国までとされています。

 

「第2次ゲルマン人大移動」は、8世紀に始まり、11世紀まで続いた、ゲルマン人の一派ノルマン人の移動です。

なぜ、ゲルマン民族は大移動したの?

ゲルマン民族が大移動したきっかけは、西進してきたアジア系遊牧騎馬民族のフン人に圧迫されたからなのです。

 

しかし、
これが大移動になった理由かは判らないです。

 

たとえばです。


ゲルマン人の農耕は肥料を使わず、また後の三圃制などの耕地を休ませて交替に使うことも知らなかったので、生産力が低く、毎年耕地を変えなければならなかったので、耕地を獲得するには常に新しい土地を開拓する必要があったのです。

 

このような耕地不足の状況を解消するには、たとえ、フン人に圧迫されていなくても、
いずれかは、大移動していたかもしれません。

 

フン族はそんなに強かったのか?

当時は、フン族に限らず、ユーラシア大陸北東部の遊牧騎馬民族は強かったようですね。

 

フン族とは、いろいろな民族の複合体のことです。


フン族以外でも遊牧民の国家は、 強力なリーダーシップを持った中核が、様々な遊牧民をまとめ上げた組織ですので、 いろいろな言葉を話す人々が参加していました。

 

たとえば、匈奴(きょうど)なんかもそうです。

 

フン族と匈奴の関係について、次のような学者の見解が分かれるようです。


・フン族と匈奴は同じ部族だ。

・一部は同じである、

・全くの別物である。

などです。

 

フン族が、何者かは断定できませんが、フン族の強さからすると、フン族と匈奴は同じ部族だったのではないかと思われます。

 

匈奴(きょうど)

紀元前4世紀頃から5世紀にかけて、中央ユーラシアに存在した遊牧民族および、
それが中核になって興した遊牧国家(紀元前209年 - 93年)。

モンゴル高原を中心とした中央ユーラシア東部に一大勢力を築いた。

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古ゲルマン人の社会

アルプスより北側の地域には、紀元前6世紀ころからケルト人という人達が住んでいました。

 

ゲルマン人は、バルト海沿岸を原住地としていましたが、ケルト人を西に追いやりながら勢力を広げていきました。

   

結果的にゲルマン人は、紀元前後ころにライン川から黒海沿岸にいたるまでの広い地域までに拡大していったのです。

 

北よりは南の方が、気候としても土地としても(森林と言うより平原)、農業がしやすかったからでしょう。

 

 

古ゲルマンの社会はどうだったのでしょうか?

 

 

身分制度に加えて、民会と従士制の2つの特徴がある社会を築いています。

 

 

身分制度・・・

・社会 の主たる担い手である自由人
・神的出自にさかのぼる小数の貴族
・非自由人として不完全自由人
(解放奴隷や征服された部族)
・奴隷

 

民会・・・

西ローマ帝国に大移動する前のゲルマン社会。古ゲルマン社会における最高議決機関です。

 

ひとつの国をまとめるには、国を代表する王となる者が必要になります。

 

ゲルマン民族にも王がいました。

 


ただし、絶大な権力を持っているわけではありません。

 
それは、王が独断で物事を決めれなかったからです。

比較的民主的な社会であり続けたんでしょうか?

 

物事を決める際は、成年男性が集まる民会」で話し合いが行われたのです。

 

従士制・・・

有力者に忠誠を誓って、
その従者となり、
保護してもらうことです。

 

ただし、
守ってもらうばかりではなく、
万一の時には有力者のために戦うという
もちつもたれつの関係でした。

 

ゲルマン民族の部族と子孫!

 ゲルマン民族のおもな部族・・・

・ゴート
・ヴァンダル
・フリージアン
・サクソン
・ランゴバルド
・アングル 
・ジュート
・マルコマンネン 
・スウェーデン
などです。 

 

現代におけるゲルマン人の子孫・・・

・デンマーク人
・スウェーデン人
・ノルウェー人
・アイスランド人
・アングロ
・サクソン人
・オランダ人
・ドイツ人
などです。

 

ゲルマン人の建国

主なゲルマン民族が建国した国

・西ゴート人はイベリア半島

・東ゴート人はイタリア

・ブルグンド人は南西フランス

・フランク人は北西フランス

・アングロ=サクソン人はブリテン島に入ってそれぞれ建国

・ヴァンダル人はイベリア半島から北アフリカに入り、かつてのカルタゴの故地に建国

 

しかし、これらの多くのゲルマン系国家は、東ローマ帝国やイスラーム勢力、そして唯一生き残ったフランク王国に征服されていきます。

 

ゲルマン人たちの移動によってヨーロッパが形成された

現在のイギリス、フランス、ドイツなど 、西ヨーロッパの主要国が形成されましたし、

東ヨーロッパの民族などの配置も、 この移動に大きく影響されています。

 

ゲルマン人の移動がなければ、現在のヨーロッパは 無いわけで、それはまさに「大移動」と呼んで差し支えないわけです。

 

また、ゲルマン人の移動とともに、西ローマ帝国が滅亡し、 ヨーロッパは古代から中世へ移行しました。

 

というわけで、ヨーロッパを古代から中世へ移行させた 原動力の一つがゲルマン人の移動ということも言えます。  

 

 まとめ

ゲルマン民族の大移動が、現在のヨーロッパの形成に大きな影響をあたえたんですね。

今日も読んでくれてありがとうございました。

 

naosikiko.hatenadiary.jp

 

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