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卑弥呼はどのようにして戦乱の日本を治めたのか!卑弥呼の死後再び内乱が起きる?

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もりもりです。

日本の古代歴史上の人物で、 卑弥呼の名前を知らない人は、
ほとんどいないのではないでしょうか。

邪馬台国の女王になった人です。

霊的な権威によって君臨したといわれています。

多くの謎に包まれた女王でもあります。

しかし、卑弥呼や邪馬台国のことが書かれた文献は、
世界にたった一つしかありません。

 古代中国が魏・呉・蜀という三国に分かれ、
互いに争っていた時代の歴史書「三国志」の一部、
「魏志倭人伝」です。

では、卑弥呼はどのようにして邪馬台国の女王となり、
戦乱の古代日本を治めることができたのかを調べてみました。

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卑弥呼が邪馬台国の女王に即位

2世紀の終わり頃、日本は戦乱が続いていました。

そこに、一人の女性の登場したことて、戦乱が終わり、平和を取り戻したのです。

その人物こそが、「卑弥呼」です。

 

当時の日本は「邪馬台国」をはじめとする、数十の国がありました。

 

邪馬台国においては、男王が即位したのですが、国がいっこうに治まらず、戦乱が長く続きます。

 

そこで、一人の女性を王としたのです。

「卑弥呼の即位」です。

すると人々は、今までの男王とは違って、卑弥呼に従い、平和が戻ったという。

 

卑弥呼はどのようにして戦乱の国を治めたのか?

邪馬台国において、注目されるのは女王が支配していたということでしょうね。

 

・卑弥呼は呪術をあやつる巫女だった

いわゆるシャーマン女王だった。

 

・外国の力を利用した

239年、当時日本とは比べものにならないくらい発展していた大国・魏(いまの中国)に使者とみつぎ物を送り、魏の王様に「卑弥呼こそが日本の王だ」と認めさせた。

これにより、卑弥呼は邪馬台国だけでなく、ほかの国々もまとめあげることができた。

 

女王としての暮らし

卑弥呼は女王になってからは、ほとんど民衆に姿を見せず、広大な宮殿の奥深くに1000人の女奴隷に囲まれて暮らし、終生独身で男子を近づけなかったそうです。

 

そして「鬼道に事つかえ、よく衆を惑わ」したといわれています。

 

このことから、卑弥呼は呪術をあやつる巫女で、霊的な権威によって君臨する支配者だったことがわかります。

これを「シャーマン」といいます。

 

古代の支配者が「農業経営のプロ」でなければ務まらなかったことからもわかるように、戦乱の時代だからといって、武力のある人間がリーダーになったわけではなかったようですね。

 

古代社会では、支配者は神に仕え、神の意志を占って人民に伝え、天災が起これば神をなだめて怒りを鎮めてもらっていた。

 

古代人の信仰によれば、支配者が神に憎まれればその国に災いが起こると思われていました。

だから、武力で王座を奪っても、臣下や人民がついてこなかったのです。

 

卑弥呼を補佐した人物

卑弥呼の弟が、補佐をして国を治めていたそうです。

 

古代の支配体制では、女性が即位し、その親族の男子(ふつう同母の兄か弟)が軍事や行政の実務を担当する、というケースが見られたようです。

 

しかし、卑弥呼はお飾りではなく、

魏に何度も外交使節を送って自分の政治的立場を強化し、部下に「諸国を検察」させて恐れられています。

 

また従属する小国に税を課し、小国間の交易や朝鮮との貿易を監視するなど、経済をコントロールしていました。

 

これは、卑弥呼を補佐した「大人」と呼ばれる有力者たちの知恵を集めた政策なんでしょうね。

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 卑弥呼の死後

卑弥呼は老齢まで生き、亡くなったときには直径100歩の塚に葬られ、100人の奴隷が 死したそうです。

 

そして男王が即位しますが、またしても内乱が起こります。

 

そこで卑弥呼の親族である台与(壱与)という13歳の少女を女王に擁立したところ、再び国が治まったというのです。

意外と女性が王になった方が争いごとが減るようですね。

当時の年表

約2万年前 日本列島の誕生
まもなく大陸から新人が到来
1万2000~3000年前 土器の発明(縄文土器)
縄文文化誕生
狩猟・採集経済が発展
紀元前7~8世紀 初期農耕の始まり
紀元前3~4世紀 稲作(水稲)の伝来・普及
弥生土器の使用
青銅器・鉄器の渡来
弥生文化誕生
小国の発生
2世紀末 邪馬台国による小国の統治
3世紀 古墳の登場
4世紀 朝鮮半島の動乱
首長連合=大和政権の誕生
漢字の伝来

まとめ

日本において、卑弥呼ほど権威を持った者は
いないと思います。

ただし、古代の日本の歴史なので、
どこまでが真実かはわからないですけどね。

今日も読んでくれてありがとうございました。

次に読む記事はこちら⇒縄文人と弥生人は顔つきも体格もまったく違う

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