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三国志のきっかけとなった西暦184年の黄巾の乱と群雄割拠!

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もりもりです。

「三国志」とは?

 

詳しくはなくても

三国志に登場する人物はわかるのではないでしょうか!

 

たとえば、劉備、曹操などです。

 

三国志の始まりは黄巾の乱がきっかけです。

 

それでは、黄巾の乱とは、

どのような乱なのかを書いていきますね。

 

ぜひ読んでくださいね。

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年表

184年 2月 河北の黄巾賊が一斉に蜂起する
  3月 何進(かしん)、大将軍に昇進する
185年 1月 黄巾の乱が鎮圧される
189年 4月 霊帝崩御、劉弁(りゅうべん)帝位になる
  8月 何進、暗殺される
  9月 董卓(とうたく)、実権を握る
  劉協(りゅうきょう)帝位になる
190年 1月 董卓と反董卓連合、虎牢関で戦闘
  2月 董卓、洛陽から長安へ移る
192年 2月 董卓、部下の呂布(りょふ)に殺害される

 

腐敗政治が横行した時代

黄巾の乱はが起きたのは西暦184年。


そのころ中国を支配していたのは
漢(かん)の高祖劉邦の子孫が
君臨する、後漢(ごかん)王朝です。

 

しかし、
幼い皇帝ばかりが即位したので、
政権は宦官(かんがん)と外戚(がいせき)という
勢力に握られていました。

 

その結果、
どんどん政治が腐敗していき
民衆は苦しめられていきます。

 

世の中は混乱を深めていったのです。

 

群雄割拠

 「群雄(英雄たち)が各地に勢力を張り対立すること」です。

 

位の高い官職もお金で買える時代

能力がなくても
お金さえ出せば高い位の官職にも
なることが出来たのです。

 

そのつけは
農民など弱い民衆に向けられたのです。

 

高額なお金で官職を買った者が、
お金を取り戻す為、
農民などの弱い民からお金を
絞り取ったのです。

 

すると、
ますます生活に苦しみ、
不満は頂点に達していきます。

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黄巾の乱と張角

腐敗した政治を正そうとする人物が現れます。

 

太平道(たいへいどう)と称する
宗教の教祖、張角(ちょうかく)です。

 

張角は「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。
歳は甲子にあり、天下大吉」をスローガンにして
甲子の年(西暦184年)の3月5日に
反乱を起こしたのです。

 

蒼天とは後漢王朝を意味し、
黄天は「太平道」の信奉する神であった。

後漢王朝の打倒をめざして立ち上がります。

 

彼らは「黄天」を象徴する黄色の頭巾を巻いて
印としたので黄巾の乱といわれたのです。

 

 

黄巾の乱は、
またたく間に全国に拡がり、
首都洛陽の目前まで民衆の反乱軍が
押し寄せる事態となります。

後漢は霊帝の中平元年、
西暦にして184年のこと。

 

あわてた後漢政府は、
それまで弾圧していた清流の士とも呼ぶべき
官僚たちを許し、各地の義勇軍を募集して、
黄巾の乱を鎮圧しようとします。

 

そうした義勇軍の中から、
のちに三国の創業者となる
曹操(そうそう)、劉備(りゅうび)や
孫権の父、孫堅(そんけん)が登場します。

 

そして、
黄巾の乱の首謀者たちが倒され、
黄巾の乱が収まったのです。

 

しかし、
すぐに後漢の宮廷では宦官と外戚の争いが再燃します。

 

宦官と外戚の争い

霊帝の外戚、何進は宦官をみな殺しにして
権力を握ろうとしたが、
宦官の反撃にあって殺害されます。

 

何進の同士袁紹は軍隊を率いて宮廷にのりこみ
宦官を皆殺しにしてしまった。

 

このとき霊帝はすでに亡くなっており、
若い霊帝、劉弁(りゅうべん)が
何進によって位に付けられていた。

 

しかし、
劉弁は弟の劉協(りゅうきょう)とともに、
宮廷の外へ避難する途中で、
将軍の董卓の手中に落ちてしまう。

董卓は皇帝の保護者として洛陽に入り、
皇帝の弟、劉協を新しい皇帝にした。

これが、
後漢最後の皇帝、献帝(けんてい)です。

 

董卓の横暴と最後

 董卓は霊帝死後の政治的混乱に乗じて
政治の実権を握ります。

 

少帝を廃して献帝を擁立し、
一時は宮廷で権勢をほしいままにしたので、
諸侯や他の朝臣らの反感をかいます。

 

董卓の横暴を嫌った袁紹や曹操は、
洛陽を脱出して反董卓の同盟軍を集め、
董卓に戦いを挑んだのです。

 

董卓は.形勢をみて、
皇帝とともに洛陽から長安へ移ります。

 

長安でも勢力を独占していた董卓でした。


最期は側近で養子になっていた呂布と
絶世の美女、貂蝉(ちょうせん)を
巡って董卓と不仲になり
呂布に殺害されます。

 

天下を狙う群雄

天下を狙う代表的な群雄は、
袁紹、袁術(えんじゅつ)、劉表(りゅうひょう)、
公孫瓚(こうそんさん)、陶謙(とうけん)、
劉焉(りゅうえん)といった顔ぶれdれある。

群雄たちは、あるときは手を結び、あるときは敵対して、
お互いに戦いを繰り返します。

その中で最も有力だったのは袁紹である。

河北をめぐって争った公孫瓚、同族出身の袁術たち
ライバルをなぎ倒した袁紹は、
河北四州を支配して天下を狙うレースの
トップに立つことになった。

まだ三国の英雄たちは、
それぞれの勢力を守ることに手一杯で、
とても天下を狙える状態ではなかった。

しかし、やがて状況が動くことになるのです。

 

まとめ

三国志のきっかけとなっのが
黄巾の乱だったのです。

 

権力を握り残虐行為を繰り返していた
董卓ですが、権力を握るまでは、
そこまで悪い人間ではなかったようです。

人は権力を握ると変わってしまうのでしょうか。

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