もりもりの歴史と人物

歴史と人物をお教えしますね。

なぜ、ベルリンの壁は建設されたのか?壁が崩壊された原因と背景!

もりもりです。

は1961年から1989年までの28年間、高さは3.6メートルに及ぶ、ベルリンの壁によってドイツは東西に分断されていたことはご存知でしょうか。

ベルリンの壁は、1961年に東ドイツによって建設されました。

西ベルリンと東ベルリンに分断されていたのです。

ベルリンの壁によって、約5000人以上の家族が分断され、数10年にわたって会うことができない家族もいたそうです。

この、ベルリンの壁は冷戦時代の象徴的存在だといえるのでしょうね。

・ベルリンの壁が建設された背景!

・ベルリンの壁が崩壊(ほうかい)した原因と経緯!
についてお話をしますね。

 

なぜ、ベルリンの壁が建設されたのか?

第二次世界大戦中の1945年4月30日にドイツは敗戦した。
当時最高指導者であるアドルフ・ヒトラーは自殺し、ドイツは同年5月7日に降伏した。

そして、ドイツは連合国によって占領され、東西に分断される。

ドイツの東側はソビエト連邦の支配下に入り、西側はアメリカ、イギリス、フランスの占領下に入ることになる。

 

そして、東ドイツ政府は西側諸国への脱出を防ぐために、1952年に東ベルリンに壁を建設し、国境の管理を行うことになる。

しかし、ベルリンの壁が本格的に建設されたのは、1961年8月13日からであった。

1989年11月9日までの約28年間、東西ドイツの統一が実現するまで東ベルリンと西ベルリンを分ける大きな壁となってしまったのであった。

 

ベルリンの壁は、東ドイツ当局によって『アンチファシスト保護壁』と名付けられた。

この壁の建設によって、東西ドイツ間の対立はますます深まっていき、東ドイツ市民は西ドイツへの移住を試みるため、高い危険を伴うがベルリンの壁を越えようと模索をしました。

 

このベルリンの壁は、冷戦時代の象徴的な出来事であり、ドイツ統一への道のりで重要な役割を果たしたのでした。

 

今ではベルリンの壁は観光名所となり、世界史上最も象徴的な分断の一つとして、歴史的な重要性を持っています。

ベルリンの壁の崩壊と経緯!

1989年に約28年間もの間、ドイツを東西に分断していたベルリン壁が壁崩し、東西ドイツ間の対立が終結し、1990年10月3日にドイツ統一が実現した。

 

ベルリンの壁が倒壊するきっかけとなったのは、東ドイツの国内経済の疲弊や、政治的抑圧に対する市民の不満が高まり、大規模なデモが発生したことが大きな要因ではないだろうか。

 

特に、レオニード・ブレジネフやエーリッヒ・ホーネッカーの独裁的な指導に対する反発が高まり、東ドイツの政治情勢は不安定になっていた。

 

このような状況の中、1989年11月9日に東ドイツ政府は、市民に対してベルリンの壁の取り壊しを許可することを発表したのである。

 

この決定は、実際には誤報だったという説もあるようだが、多くの市民が壁を越えて西ベルリンに入り、壁を取り壊しを始めていた。

ベルリンの壁崩壊の経緯

ベルリンの壁崩壊の経緯は、東ドイツ市民の抗議と革命的な変化、そしてソビエト連邦の圧力が複合的に絡み合ったことによって生じた。

 

東ドイツ当局は、市民の要求に応え、民主化と自由選挙を実施することを余儀なくされ、1990年10月3日にドイツが統一され、ベルリンの壁は完全に取り壊された。

 

その後、数万人の東ドイツ市民が、壁を越えて西ベルリンに向かい、西ドイツ政府は彼らを受け入れることを決定しました。

この出来事は、壁の崩壊を引き起こし、東西ドイツの統一へとつながる歴史的な出来事となりました。

ベルリンの壁崩壊は、冷戦の終焉を象徴する出来事であり、東西ドイツの統一につながる歴史的な転換点でした。

 

最後に

ベルリンの壁が建設された背景とベルリンの壁崩壊の原因と経緯について記事にしてみました。

参考になったなら嬉しいです。

最後まで読んでくれてありがとうございます。