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徳川綱吉が発布した生類憐れみの令の本当の狙いは?原文と現代語訳!

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もりもりです

生類憐れみの令とは、徳川綱吉の時代に発布された法令で、「犬などの生き物を殺生してはならぬ、命を大切にせよ」というお触れなのです。

このようなこともあったようです。

「蚊を叩いて潰して島流し」になったり、病気の息子のために「ツバメの肝を食べさせようと、吹き矢でツバメを殺した」父親は子供と一緒に処刑されたそうです。

生き物を殺して処刑されるなど、今の日本では考えられないことですよね。

こんな時代に生まれてなくて幸せです。

この天下の悪法、「生類憐れみの令」にも良いところもあったいわれています。

どこが良かったのでしょうか?

・生類憐みの令とは

・生類憐みの令がなぜ配布されたのか?

・生類憐みの令の原文と現代語訳

についてお教えしますね。

最後まで読んでくださいね。

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生類憐れみの令とは

生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい) は5代将軍・徳川綱吉の時代に発布された法令です。

 

徳川綱吉は「犬公方」*1と陰で呼ばれていたそうです。

徳川綱吉は、とくに犬を大切にしていたため、犬にかまれたり、吠えられても犬に手出しができないため、民衆はすごく苦しめられます。

 

そのために、野良犬が増え、安全や衛生面が損なわれたりした事も、悪法と言われた理由でしょうね。

 

しかし天下の悪法は、犬などの生き物だけではなく、捨て子や捨て老人も禁止していたようです。

 

その背景には、綱吉が熱心に学んでいた「儒学」があります。

儒学には人を生類の一位に置くという思想があるため、綱吉は決して人をないがしろにしていたわけではなかったのです。

 

なので、生き物を大切にしつつも、生活のために殺生はやむを得ない漁師や猟師の仕事は公認されていました。

生類憐れみの令がなぜ発布されたのか?

江戸時代初期、江戸の町では「殺人事件や暴力」が多発した!

徳川幕府によって「元和偃武(げんなえんぶ)」*2の時代になり、世の中は戦乱の時代ではなくなっていたが、人心からは戦国時代の感覚がまだ抜け切れていなく、ちまたでは暴力があふれていたのでした。

 

ましてや、ケンカは日常茶飯事のこと。

殴り合いのケンカならいいが、白昼においても刀を抜き合い、斬り合ったのでした。

 

それに、辻斬り(つじぎり)*3も多く、諸大名たちさえも「うかつに遣い(つかい)もだせぬ。帰ってこぬからな」と眉をひそめ合ったとそうです。

また放火も多かった。

野犬も見つけられた、捕まえられて食べられていました。

「犬食い」です。

 

戦国時代の風習は暴力だけでなく、命のとうとさに対しての大切さがあまりなかったようです。

 

戦国時代は人を殺すこと、主君のために自決したりすることが価値とされていた時代なので、おのずと命を軽んじる考え方につながってしまったのでしょうね。

 

実際に、こういったことはすごく深刻だったのでした。

江戸時代には家畜が年老いたり、病気になったりすると野山に放置し、自然に死ぬのを待ったという例が少なくありませんでした。

人に対しても同様で、病人が捨てられ死体が野ざらしにされていることも多かったようです。

 

綱吉の本当の狙ねらいは生命の尊重だった

そんな中で、1687年正月、徳川綱吉は、最初の「生類憐みの令」を発しています。

生類憐みの令は、戦国時代以来の殺伐とした風習を断ち切ろうとする、いわば「人民教化政策」の一環だったのでした。

 

実際、犬に限らず「捨て子をいたわり、養子にせよ」といった慈悲の考え方に基づく規定も多く出されていたそうです。

 

次第に「生類憐みの令」の影響で、殺生や死を嫌う風潮が社会に広がっていったそうです。

生類憐れみの令の原文と現代語訳

一、捨て子これ有り候はば、早速届けるに及ばず、その所の者いたはり置き、直(じき)に養ひ候(そうろう)か、または望みの者これ有り候はば、遣はすべく候。急度(きっと)付け届けるに及ばず候事。

現代語訳
捨て子があればすぐさま届け出ようとせず、その場所の者がいたわり、みずから養うか、またはのぞむ者がいればその養子とせよ。よいか、届け出なくてかまわない。

 

一、鳥類・畜類、人の疵(きず)付け候やう成るは、唯今(ただいま)までの通り相届けるべく候。その外友くひ、またはおのれと痛め煩ひ候ばかりにては届けるに及ばず候。随分養育致し、主(あるじ)これ有り候はば、返し申すべき事。

現代語訳
鳥類・畜類で、人が傷つけたと思われるものは今までのように届け出よ。共食いやみずから傷つけたと思われるものは届け出なくてよい。それらを養育し、持ち主があればかえすようにせよ。

 
一、主無き犬、頃日(けいじつ)は食物給(たべ)させ申さず候やうに相聞こえ候。畢竟(ひっきょう)食物給させ候えば、その人の犬のやうに罷(まか)り成り、以後まで六ケ敷(むつかしき)事と存じ、いたはり申さずと相聞こえ、不届きに候。向後左様これ無きやう相心得るべき事。

現代語訳 
飼い主がいない犬に日ごろ食べ物をあたえないようにしているという。それは要するに食べ物をあたえれば、その人の飼い犬のようになって面倒なことがおこると考え、いたわらないでいるらしいが、けしからん。これからはそのようなことがないように心得よ。

 

一、飼ひ置き候犬死に候えば、支配方え届け候よう相聞こえ候。別条無きに於ては、向後ケ様(かよう)の届け無用の事。

現代語訳 
飼い犬が死ぬと、飼い主は上司へ届けでているという。その死に異常がなければ、これからはそのような届け出は無用である。

 

一、犬ばかりに限らず、惣じて生類、人々慈悲の心を本といたし、あはれみ候儀肝要の事。  

現代語訳  
犬ばかりにかぎらず、人々はすべて生類へ慈悲の心からでるあわれみをほどこすことが肝要なのである。

動画!

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最後に

生類憐みの令は、もともとは人間も含めて命の大切さをわからせるために発令したものだともいわれています。

それが、天下の悪法といわれるほどひどいものになったんでしょうね。

今日も読んでくれてありがとうございました。

 

*1:徳川綱吉につけられたあだ名。公方とは将軍の別称。綱吉は戌 (いぬ) 年生れであることから僧隆光のすすめによって、生類憐みの令を出し、特に犬を過度に大切にさせた。そのことに対する世人の批判から犬公方と呼ばれたのでした。

*2:大坂夏の陣を最後に、戦乱の世は治まり、太平の世を迎えたこと

*3:路上で不意に通行者を切り殺すこと。江戸時代、武士が自己の剣技あるいは刀の切れ味をためすために行い、ことに江戸時代初期に流行して治安をみだした。