もりもりの歴史と人物を学ぼう

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太平洋戦争はアメリカが日本に行った経済制裁がきっかけだった!

 

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もりもりです。

1940年7月、近衛内閣は、「アジアから列強勢力を排除し、アジアの独立を促して、日本の盟主とする共存共栄の経済圏をつくる」という大東亜共栄圏構想を打ちだしたのです。

 

しかし、この「大東亜共栄圏構想」は、英米仏からは反感をかわれることになったのです。

 

構想自体はすばらしいですが、実際には資源を確保するためだと思われたのでしょうね。

 

怒ったアメリカは、イギリス、中国、オランダと手を組んで日本に対し、石油の輸出禁止という厳しい経済制裁を行ったわけです。

 

それが、「ABCD包囲網」です。

 

資源の少ない日本はこれによって、大打撃を受けるのです。

 

そこで日本は、この状況を打破するために、アメリカに戦争をしかけたのでした。

 

では、

・物資不足の解消のため東南アジアへ勢力を拡大

・だまし討ちのはずではなかった真珠湾攻

・ミッドウェー海戦で日本海軍が敗れたのなぜ?

などについてお教えしますね。

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物資不足を解消するため東南アジアへ勢力を拡大していく

日本は三国同盟*1結成以降、国内の物資不足を解消するために東南アジア地域へ勢力を拡大していったのです。

 

そして、近衛内閣が掲げたのが、「アジアから列強勢力を排除し、アジアの独立を促して、日本の盟主とする共存共栄の経済圏をつくる」という大東亜共栄圏構想なのです。

 

大東亜共栄圏の構想は、太平洋戦争が勃発してからも主張され続けられていました。

 

日本に占領された国々の中には、この大東亜共栄圏構想を歓迎する国もあったのですが、英米仏は、この構想には納得できず反感を持っていたんですね。

 

ではなぜに、大東亜共栄圏構想に英米仏は反感を持っていたのでしょう?

それは、「アジアから列強勢力を排除し、アジアの独立を促して、日本の盟主とする共存共栄の経済圏をつくる」といいながらも、実際には石油やゴムなどの資源を確保するためや、英米仏の中国への物資援助ルートを遮断するのが目的だったからなんですね。

 

そこで、まずアメリカが日本に対して、石油の全面禁輸という経済制裁をしたのです。

 

資源に乏しかった日本は、戦時下にあっても石油などの重要資源を輸入に頼っていました。

しかも最大の石油の輸入先がアメリカだったのです。

 

日本は大打撃を受けるのです。

 

さらにアメリカはイギリス、中国、オランダと「ABCD包囲網」と呼ばれる厳しい経済封鎖政策を日本に実施したのです。

 

ますます日本は追い詰められいきます。

 

もう、アメリカと戦うしかないとなってしまったのですね。

 

naosikiko.hatenadiary.jp

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真珠湾攻撃はだまし討ちではなかった?

アメリカに経済制裁をされ、資源を確保出来なくなってしまった日本は現状を打破するには、アメリカとの戦争しかないと考えを決めるのですね。

 

そうなんです。

武力によって、包囲網を打破しようと決断したのです。

 

しかしこれは最悪の決断だったのです。

資源に乏しい日本がアメリカになど勝てるわけがない。

 

そして、1941年12月8日未明、日本海軍はハワイの真珠湾への攻撃をしかけ、太平洋戦争が始まったのです。

 

この真珠湾攻撃はだまし討ちにいわれていますが、実は通告手続きの手違いによって宣戦布告前に攻撃が始まったのでしす。

 

日本は海軍の要求から、ギリギリまで開戦の意図を隠そうとし宣戦の通告は真珠湾攻撃の30分前の12月8日午前3時と決まった。

 

ところが、これをアメリカに伝えるはずの在米日本大使館が開戦を知らなく、暗号解読に手間取ったのです。

それが原因で宣戦の通告が遅れてしまったのです。

 

結局、アメリカに通告されたのは真珠湾攻撃の1時間以上も後。

 

宣戦の通告が遅れてしまったために、真珠湾攻撃は日本がだまし討ちしたと思われ、アメリカに反日感情をあおることになってしまったのですね。

 

真珠湾攻撃においては、アメリカの主力艦隊に大打撃を与え、大きな戦果をあげます。

 

その後日本は、1941年中にグアム、香港を制圧し、開戦後わずか半年ほどで東南アジア・南太平洋地域のほぼ全域を日本の支配下に入れてしまったのでした。

 

しかし、日本の勝利もここまでだったのです。

 

1942年6月、ミッドウェー海戦で日本海軍が敗れてからは、戦局はひどくなっていったのでした。

 

日本軍が占領した東南アジア地域は次々にアメリカに奪い返されます。

 

1945年には米軍による本土空襲が本格化します。

 

それでもなお政府は、「聖戦完遂」を叫んだが、戦意は次第に失われていったのでした。

 

ミッドウェー海戦でなぜ日本海軍は敗れた?

ミッドウェー海戦では、日本の方が戦艦などの数ではアメリカよりも多かったが、戦闘機な数はアメリカの方が多かった。

 

これも敗れた原因のひとつではないかと思います。

 

こときには、日本の暗号はアメリカに解読されていたのです。

そして、アメリカは日本を待ち伏せします。

 

そんなことも知らずに、日本はアメリカの船かアメリカの基地、どちらを攻撃するかというので、戦闘機には陸用爆弾と魚雷のどっちをつけるかという事になっていたのです。

 

しかし、空母が中々見つからないので魚雷から陸用爆弾に変えた時に、アメリカの空母が見つかったため、爆弾から魚雷にもう一度変えることになってしまったわけです。

その変えている時に、アメリカの攻撃機が来襲します。

そして、次々と爆弾や魚雷が誘爆したため空母は沈没し、ミッドウェー海戦で日本は敗れてしまいます。

 

 まとめ

日本が資源に乏しい国だったことが戦争に敗れた大きな原因だったのではないでしょうか。

いつの時代でも資源が豊富な国は豊かになるし、国力も強くなります。

この記事は参考になったでしょうか。

今日も読んでくれてありがとうございました。

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今日も読んでくれてありがとうございました。

*1:1940(昭和15)年に日本・ドイツ独・イタリアの間にむすばれた軍事同盟