もりもりです。
18世紀末から19世紀にかけて、科学の新しい発明・発見が産業界に応用されるようになりました。
蒸気機関や紡績機(ぼうせきき)など、多くの機械の発明・改良によって、今まで人手に頼って いた生産手段が機械化され、生産力は劇的に高まりました。
人とモノの流通を促し、生活を豊かにしたのです。
そして、万国博覧会が開催されるようになったのです。
それでは、万国博覧会の歴史を見てみましょう。
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第一回万国博覧会
機械化生産を積極的に進めていたイギリスは、世界に先駆けて産業革命を成し遂げます。
イギリスは「世界の工場」と呼ばれ、その勢いは世界中に影響を与えました。
ロンドンで1851年に、「第1回万国博覧会が開催」されることになります。
近代産業が生み出した商品と目新しい技術を展示し、科学技術に支えられた未来への展望を 示したのです。
ロンドン万博では巨大なガラスドーム「クリスタル宮」の建設技術に世界が驚嘆しました。
ロンドン万博の成功を契機に、世界の各都市で万博が開催されていくようになります。
パリ万博が開催
1889年パリ万博が開催されます。
パリ万博ではエッフェル塔が建てられ、鉄骨構造の技術をアピールしました。
1893年に開催された、シカゴ万博は会場の色彩を白一色で統一します。
そのため「ホワイト・シティ」と呼ばれ、市の中心から会場まで専用の高架鉄道を開通させました。
産業技術の見本市という性質の博覧会のため、20世紀前半までは、重工業の技術を誇るパビリオンが 万博の目玉になっていました。
20世紀後半からの万国博覧会
20世紀後半になると、パビリオンは建物そのものよりも、パビリオン内で模様されるハイテク技術が展示の中核になっていきます。
万国博覧会はロンドン大博覧会以降、各地で何十回と開催され、産業技術の進歩と普及、市場の拡大、国際親善、主催国の分化の振興といった役割を果たしてきました。
1933年のシカゴ万博から、開催ごとにテーマを掲げるようになります。
最初のテーマは「進歩の一世紀」でした。
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アジア初の万国博覧会
1970年にアジア初の万博が日本で開催されます。
「人類の進歩と調和」をテーマに大阪万博が開催されました。
シンボルである「太陽の塔」と宇宙船アポロ11号が持ち帰った「月の石」を見たさに、約6421万人 が来場したそうです。
万国博覧会は、産業技術の目覚ましい近代化とともに進んできました。
しかし現在では参加国も現象し、かつての注目度も失墜しています。
万博開催による収益は成り立たなくなっています。
大規模な会場を設営する、万博という存在自体を見直す意見も出てきています。
まとめ
万博の存在がなくなってしまうのは寂しい気がします。
小規模な万博でも良いので、続けてほしいですね。
今日も読んでくれてありがとうございました。
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