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軍事クーデターは陸軍内部の皇道派と統制派の対立によって起きた

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犯行将校たちの決起理由

反乱将校は、なぜ決起したかの「趣意書」をもっていた。

それによれば、日本は八紘一宇(はっこういちう)を
全うするのを国是(こくぜ)としているのに、
最近、「不逞凶悪(ふていきょうあく)の徒」が輩出し、
国家の進展を阻害している。

 

「所謂(いわゆる)元老、重臣、軍閥、官僚、
政党等は此の国体破壊の元凶なり」と決めつけ、
これらの害を取り除く国家改造のために
立ち上がったのだという。

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 太平洋戦争知れば知るほど参照)

八紘一宇と国家改造

八紘一字とは「八紘(地の果てまで)
一宇(一つの国家)にする」ことで、
天皇を盟主として全土統一体制をつくるとの
神武天皇の東従神話に出てくる言葉です。

 

陸軍は、日本国ばかりか近隣諸国にまで
この思想を広めることを考えていたのです。

 

のちに掲げられる「大東亜共栄國」建設構想です。

 

このことは、
日本を盟主として、中国、朝鮮、東アジアの政治、
経済をブロック化しようとする思惑が隠されていた。

 

昭和の初期は金融恐慌で経済が
破綻(はたん)していたほか、
昭和5(1930)年のロンドン海軍軍縮条約により、
軍艦建造が削減されて関連産業は打撃を受け、
さらに軍艦の削減について、
政府が海軍軍司令官の同意なしに承諾したのは
統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)と
国会で問題となるなど、経済、外交、政治が揺れ、
その余韻(よいん)が尾を引いていた。

 

国をかき乱しているのは
襲撃対象の天皇の側近たちなので
討伐するというのが趣意書のあらましであります。

 

彼らのいう国家改造とは、
軟弱な政治家では国を運営できない。

軍人が柱とならなけらば社会不安は収まらないというものだ。

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2.26事件を予感させた陸軍幹部の殺害

内実は。もっと深いところにあった。

陸軍内部の対立である。

 

陸軍は、
陸軍手動によって八紘一宇的思想で
国家を伸張させるとの共通した意識を持っていたものの、
その方法については意見が二つに分かれていた。

 

双方の性格をひとことで言えば過激派と
穏健派、武闘派と理論派、改革派と官僚型であり、
前者は皇道派、後者は統制派と呼ばれていた。

 

皇道派は、「世の混迷の原因は政治家にあるから、
政治家を一掃して国家を改造しなければならない。

 

そのためにはクーデターなどの
直接行動も辞さない覚悟で、
軍部が政治の支配権を握る必要がある」との考えを持ち、
真崎甚三郎、荒木貞夫、両大将がリーダー格だった。

 

一方の統制派は、
「政治への陸軍支配は合法的でなければならず、直接行動は避ける」との
立場に立っていた。

林銑十郎(はやしせんじゅうろう/のちの首相である)、
渡辺錠太郎大将が指導者である。

 

2.26事件の半年前の昭和10年8月12日、
陸軍省軍務局長の永田鉄山中将が省内で
相沢三郎中佐によって殺害される出来事があった。

 

これは、
皇道派の教育総監真崎甚三郎大将が
軍事参議官に更迭(こうてつ)されたのは、
統制派の中心である永田の陰謀として、
皇道派の将校たちから永田は目の敵にされ、
皇道派の相沢が単身決起した事件だった。

 

このように、両派は対立し、
2.26事件を引き起こした青年将校はいずれも皇道派であり、
襲撃されたのは統制派の重鎮渡辺錠太郎はじめ、
統制派とみられていた要人や理解者だった。

 

 陸軍を軸とした「国家改造」という目的は
同じであっても、
両派の反目はくすぶり、
ついに皇道派がクーデターの挙に出たのが
2.26事件だったと言える。

 

まとめ

陸軍内部の皇道派と統制派の対立という
思想の違いがエスカレーターして起きたのが、
2.26事件のようにだけに見えますが、
他にも原因となるものはなかったのでしょうか?

 

他にも考えられるの、不況です。

 

当時は不況で、それは農家を直撃しました。

 

農家では娘の身売りが頻発していたようです。

2.26事件青年将校配下の兵士たちは
農家の出身も多かったようです。

そんなことも、
2.26事件の背景にはあったみたいですね。

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