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近衛文麿とはどんな人物なの!第一次近衛内閣と盧溝橋事件 !服毒自殺の理由!

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おはようございます。

なおしです。

歴史って知れば知るほどおもしろいですね。

今日は近衛文麿の人物像です。

近衛文麿は、(第34・38・39代)の内閣総理大臣です。

1937年6月、
第一次近衛内閣が誕生し、
その約1ヵ月後に日中戦争の発端となる
盧溝橋事件が起きたのです。

 
そして、
終戦後、GHQの戦犯出頭命令を受け、
服毒自殺をしました。

内閣総理大臣にまでなった
近衛文麿とはどんな人物なのか?

第一次近衛内閣と盧溝橋事件について調べてみました。

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近衛文麿の人物像

近衛文麿(このえ ふみまろ)

1891(明治24年)~1945年(昭和20年)

生年月日:1891年10月12日

出身地:千代田区

死没:1945年12月16日 (54歳)

身長:約180cm

学歴:京都大学

設立団体:大政翼賛会 

栄典は従二位勲一等公爵

日本の政治家

 

経歴

内閣総理大臣(第34・38・39代)、
外務大臣(第57代)、
拓務大臣(第13代)、
班列、農林大臣(臨時代理)、
司法大臣(第43代)、
国務大臣、
大政翼賛会総裁(初代)などを歴任、

 

貴族院議員
貴族院副議長(第10代)
貴族院議長(第9代)

 

 

●五摂家(ごせっけ)筆頭の名門家の出で
「天皇の前で膝を組んで話しができる
ただ一人の男」といわれた。

●東大哲学科から京大法学科に転じ、
内務省に入る。

●3度の組閣を経て、
太平洋戦争末期には東条内閣打倒の動きに加わり
和平の宮廷工作にあたる。

終戦後、GHQの戦犯出頭命令を受け、
服毒自殺する。

 

●海軍大将、井上成美が近衛文麿について
こう語っていたそうです。

 

あんな、軍人にしたら、
大佐どまりほどの頭も無い男で、
よく総理大臣が勤まるものだと思った。

言うことがあっちにいったりこっちにいったり、
味のよくわからない五目飯のような政治家だった。

近衛という人は、ちょっとやってみて、いけなくなれば、
すぐ自分はすねて引っ込んでしまう。

相手と相手を噛み合せておいて、
自分の責任を回避する。

三国同盟の問題でも、
対米開戦の問題でも、海軍にNOと言わせさえすれば、
自分は楽で、責めはすべて海軍に押し付けられると考えていた。

開戦の責任問題で、人が常に挙げるのは東条の名であり、
むろんそれには違いはないが、順を追うてこれを見て行けば、
其処に到る種を播いたのは、みな近衛公であった。

 

 無責任で行き当たりばったり、
そして結果についての責任をとろうとはしない。

 

本当に無責任な人物だったようです。

第一次近衛内閣

公爵で名門近衛家出身の近衛文麿は、
総理大臣の指名権を持った元老・西園寺公望
(さいおんじきんもち)の秘蔵っ子。

 

1936(昭和11)年の2.26事件以降、
軍部を押さえてくれる政治リーダーとして、
近衛文麿に衆望(しゅうぼう)が集まった。

 

国民の強い期待の中で1937年6月、
第一次近衛内閣が誕生しました。


その約1ヵ月後の7月7日、盧溝橋事件が勃発した。

 

※衆望=大勢の人たちから寄せられる期待・信頼。

 

日中戦争の発端となった盧溝橋事件

 

日中戦争の発端となった事件である。

 

1937年7月7日、
北京郊外の盧溝橋で演習中の日本軍が、
兵1名の行方不明から中国軍を攻撃する。

9日停戦協定成立、中国軍責任者の処罰を決定。

 

しかし日本政府、
軍部は〈中国側の計画的な武力抗日〉として
11日以降派兵し、日中戦争に拡大した。

 

そして、

盧溝橋のたもとで、
日本軍が夜間演習を行っていたとき、
河岸から十数発の小銃弾が飛んできた。

 

日本軍は中国軍からの発泡だと判断、
付近の中国軍に対して一斉攻撃を行なった。

 

偶発な衝突だったので、近衛内閣は9日に、
事件不拡大方針を決定する。

 

しかし、

陸軍参謀本部の石原莞爾(いしはら かんじ)作戦課長らの
不拡大派に対して、蔣介石(しょうかいせき)軍は一撃すれば、
倒せると武藤章(むとう あきら)作戦課長らの強硬派が
巻き返して、3個師団の派兵を決定し、
日中全面戦争に突入してしまった。

 

1938年1月、
近衛は駐華ドイツ大使トラウトマンを介した中国との
和平工作に失敗すると「爾後(じご)国民政府を対手(あいて)とせず」
との一方的な声明を発表。

これで両国の外交関係は断絶し、
国民政府との話し合いの場を失ってしまった。

国内的には同年5月に「国家総動員法」を施行、
同11月には「東亜新秩序声明」を発し、
戦時体制を推し進めていった。

一方、おごり高ぶった陸軍は近衛の意に反し暴走を繰り返し、
中国戦線は泥沼化の一途をたどった。

 

軍部の暴走は戦争長期化の一因をつくり、
閣内不統一など政権運営に行き詰まった第二次近衛内閣は、
総辞職(1939年1月)。

 

近衛の後を受けたのは、
前枢密院議長の平沼騏一郎(ひらぬま きいちろう)
だった。

    

GHQの戦犯出頭命令で自殺したのか!

近衛文麿は戦犯回避のために、
あれやこれやと策を巡らせたりしていました。

 

戦犯回避のため、
「近衛上奏文」で主張しています。

 

近衛文麿が天皇に奏上した「近衛上奏文」を読めば
理解できるでしょう。

 

そして、

五摂家筆頭の家柄である自分が犯罪人として
法廷に引き出されることを屈辱と考えたのでしょうね。

 

 戦犯として裁かれることが、

よほど、
耐えがたい屈辱だったのでしょうね。

 

それに戦犯にかけられると死罪は免れないという
気持ちもあったんでしょうね!

 

殺されるぐらいなら
いっそ、自ら命を絶つほうが
屈辱を味わうことがないと考えたのかもしれません。

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 近衛上奏文とは

近衛上奏文には、
近衛は戦争になったのはすべて共産主義勢力のせいだとして、
この共産主義勢力の一派をゆく制することで、
アメリカと講和できると上奏文で主張しました。

 

この「共産主義勢力」という言葉だけで
無条件にうなずく困った右派(渡辺など)もいたようです。

 


近衛が主張する「共産主義勢力」とは、
陸軍主流派の統制派のことであり、
第三次近衛内閣を潰した東條英機のことです。

 

近衛は東條ら陸軍統制派に「共産主義勢力」のレッテルを貼り、
これを粛正した上で全責任を負わせて
講和に持ち込むべきと主張したのです。

 

近衛上奏文における「共産主義」レッテル張りは常軌を逸していて、
陸軍は左翼の巣窟、官僚も左翼、右翼もじつは
国体の皮をかぶった左翼と、
とにかく気にくわないものは全部左翼認定して、
これを排除すべしとしています。

 

しかして、
その近衛は戦争末期には「ソ連仲介による講和」に熱心に取り組み、
仲介案を持ち込もうとします。

 

この仲介案は「壮絶」としか言い様の無いシロモノでした。

 

この仲介案の肝は、
あくまで「講和」であるため「戦犯の追及が無い」ことなんですが、
その代わりに提示されている条件はポツダム宣言が
天使の囁きに聞こえるようなものでした。

 

領土保全については本土のみをもって満足し、
沖縄を含む島嶼はすべて放棄する。

 

若手将兵を労働力として提供する
(つまりソ連のシベリア抑留を合法的に認める)。

あげくの果てに、天皇の退位まで認めると・・・。

 

仲介案というより「売国案」というべきでしょうね、

 そこまでして戦犯を回避したかったのかと。

 

戦後は「手記-平和への努力」という文章を発表し、

 

戦争に至ったのはすべて軍部の暴走によるものだと、
全責任を軍部におしつけて自己弁護を計りました。

 

自殺せず裁判になったとして、
悪いのは全部軍だ、
東條だ、やつらが諸悪の根源だ」と
主張するだけでしょう。

 

近衛文麿が残した遺書 !

近衛文麿が服毒自殺をする前の晩、
実は遺書をしたためていました。

 

息子と遅い時間まで語りあっていた時、
おもむろに今の心境を書きたい、
ということで走り書きをしました。

その様子からは自殺をするような雰囲気はなく、
家族の目からも平静な様子だったといいます。

 

遺書には、日中戦争以来、
自身が多くの政治上の過失を犯したことと、
そのことに対して責任を感じていること、

 

だからこそその解決を自身の最大の使命として
日米交渉に尽力していたこと、
しかし戦争犯罪人としてアメリカの法律で
裁かれるというのは耐え難いという内容が述べられています。

 

さらに、
戦争に伴う興奮と激情、勝者の行き過ぎた増長、
敗者の過度の卑屈、

そして故意の中傷やデマなどの世論もいつか冷静を取り戻し、
その時初めて神の法廷でその判決がくだされるであろう、
と記されていました。

 

しかしこの遺書はすぐにGHQに没収され、
内容について語ることを禁止されます。

 

 まとめ

 近衛文麿は「近衛上奏文」にて、
戦争に至ったのはすべて軍部の暴走によるものだと、
全責任を軍部におしつけて自己弁護を計り、
自己保身に走ったことで有名です。

そこまでして、助かろうとしてたのに、
戦犯にかけられると屈辱には
耐えられなかったのですね。

今日も読んでくれてありがとうございました。

 

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