もりもりです。
縄文人と弥生人は日本人の先祖。
いったい、どんな体型や顔をしていたのでしょうか?
現代の優秀な復元技術によって、
ある程度のことは、わかってきています。
しかし、人骨さえ残っていれば、
体型や顔の形などが、わかるとはすごい技術の進歩ですね。
それでは、縄文人と弥生人の体型と顔の形違いや性格について、
調べてみました。
最後まで読んでくださいね。
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縄文人と弥生人の体型と顔の違い
縄文人 | 弥生人 | |
---|---|---|
身長 | 男性:約158㎝ 女性:約148㎝ |
男性:約164㎝ 女性:約150㎝ |
顔の形 | 幅が広く四角い、 ほりが深い |
上下に長い、のっぺりしている |
眉 | 太い | 細い |
鼻 | 比較的大きい | 幅が細く低い |
まぶた | ぱっちりとした二重 | 一重 |
耳 | 耳たぶが大きい | 耳たぶが小さい |
歯のサイズ | 現代人より小さい | 現代人より大きい |
嚙み合わせ | 上下の歯がぶつかり合う | 上の前歯が下の前歯に覆いかぶさる |
くちびる | 厚い | 薄い |
体毛 | 濃い | 薄い |
縄文人と弥生人の特徴を総合的に見ると、縄文人は北海道のアイヌ、沖縄の人に見られるような顔立ちで、弥生人は日本人の典型的な姿です。
現代の日本人の美の基準も弥生人の方が優勢かもしれませんね。
縄文人と弥生人の性格はどうなの?
縄文人の祖先は狩猟採集で、反対に弥生人の祖先は農耕生活を営んでいました。
こうした生活形態の違いが、ある程度は性格の違いとして、受け継がれているともいわれています。
縄文人は少数精鋭かつ対等な関係を好む・・・
狩猟では基本的に必要な分だけ、その時に手に入れる生活になります。
そういったことから、縄文人は場当たり的で行動的、失敗してもなんとかなるというおおらかな性格が多いといわれています。
弥生人は秩序だった集団行動を好む・・・
農耕での生活は長期計画が基本となります。
そのため、弥生人は計画的で慎重、そして一度の失敗が収穫に直結するため、失敗には厳しい性格になるそうです。
東北人には縄文人の遺伝的な要素が強く残っている?
豪雪における厳しい環境で暮らす、東北人は「自己を抑制し他人を思いやる気質」が強いように感じられます。
東北人には縄文人の形質的・遺伝的な要素が強く残っている事は、ほとんどの人類学者が認めているようです。
ただ、東北人が持っている気質が縄文人の遺伝子に由来するかどうかは、少し疑問も残りますね。
気質は遺伝的な要素よりも、気候風土等の環境的な要素や、戦いが常態化していたかなどの政治的な要素が強いものだと思います。
東北人の「自己を抑制し他人を思いやる気質」は、確かに弥生化するのが遅れたという歴史的な経緯も影響していると思いますが、一義的には、厳しい環境を乗り越えて来た東北人の知恵の結果ではないでしょうか。
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縄文人と弥生人の由来
縄文人は、約1万6000年前から約3000年前までの、縄文時代に日本列島に住んでいた人々の総称です。
現在の北海道から沖縄本島にかけて住み、縄文文化と呼ばれる文化形式を保持していました。
弥生人は弥生時代に中国大陸から日本列島に渡来した人のことです。
広い意味では縄文人と弥生人の子供や、弥生文化を受け入れた縄文人も弥生人と言います。
縄文人が発展して弥生文化になったと思う人も多いでしょうが、実際には弥生文化は「弥生人」という人々が新たに生み出したものです。
縄文土器と弥生土器
日本で最初に作られた土器は、縄を押しあてたような紋様がついていることから、縄文土器とよばれています。
その後、弥生時代になると土器はずっとシンプルなデザインになります。
最初に発見されたのは東京・本郷の弥生町(現在の文京区弥生2丁目)で、そこから弥生土器と呼ばれるようになります。
まとめ
縄文人と弥生人は、体型、性格、すべてに対して、正反対の方が多いようですね。
今日も読んでくれてありがとうございました。
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